〜旅をして、その土地と文化と美味しい1杯をブログに乗せて〜

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【自己紹介】

どーも!セシモンです。

このブログでは日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、紅茶、コーヒーといった「嗜好品」の魅力を、僕自身の経験を交えながらお伝えしていこうと思っています。

記念すべき最初の記事は、なぜ僕がこの道を歩むことになったのか——その原点を書いてみようと思います。長いですが、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

①7歳の朝、街が崩れた

1995年、阪神大震災が起きたとき、僕は兵庫県のある街の家の中にいました。当時7歳、小学1年生。まだ朝早い時間で、何が起きたのかもわからず、ただ途方に暮れていたのを覚えています。

すごい形相で「大丈夫?怪我はない?」と聞いてくる親。正直、子供だったからか、怖さというよりも状況が飲み込めない感覚の方が強かった気がします。家の中は食器が割れ、棚が倒れ、めちゃくちゃでした。

母に手を引かれて向かった近くの商店街は、いつもの姿ではありませんでした。でも、暗闇の中で明るい声を上げている人たちがいた。

その声の主は、パン屋さんのスタッフさんたちでした。

「無料でパンをお配りしています」「どうぞ、持っていってください」

母が久しぶりに見せた嬉しそうな笑顔。子供心に「ああ、こんな仕事があるんだ。パン屋さんかぁ」と、その光景が心に刻まれました。

②図書館で出会った一冊の本

それから約10年、街はすっかり復興し、僕は高校生になっていました。

ある日、暇つぶしに立ち寄った図書館で、なんとなく手に取った一冊の本。それが『ビゴさんのフランスパン物語』でした。

漠然とパン屋さんになりたいと思っていた僕は、その本を借りて家で読みふけりました。お店は芦屋にあり、日本に初めてフランスパンを伝えた方のお店だということ。そして、あの阪神淡路大震災のときに、被災者へ一生懸命パンを配っていたお店だったということ——。

「あ、あのときの、笑顔を届けてくれていたお店って、こんな感じだったのか」

言葉にできない感情がこみ上げて、決意しました。「この店で働こう」と。

高校卒業後、辻調理師専門学校で製パン・製菓・コーヒーのコースに1年間通い、念願だった芦屋のビゴのお店に就職しました。

③地獄の修業時代

正直に言います。地獄でした(笑)。

出勤は夜中の12時。冷蔵ルームでクロワッサン生地をはじめ、様々な生地を作り続ける日々。その作業が終わると、次は釜焼き。寒さから一変して汗まみれになりながら、早朝4時頃からパンを焼き続けました。

火傷は日常茶飯事。6時までの出荷に追われ、焦がさないように必死。どうしても眠くて仕方ないときは、自分からわざと火傷しにいって眠気を飛ばしていたのは、今でも忘れられません。先輩の怒号、泣きながら作業する同僚——それが当たり前の世界でした。

3年間勤めて、店を辞めました。

④バイクとテントで、関西から東京へ

パン業界しか知らなかった僕は、とりあえずバイクにテントを積んで、関西から東京を目指す旅に出ました。

琵琶湖を一周し、知らない人たちに混ざってBBQをし、パラグライダーに挑戦し、富士山のご来光を拝み、キュウリ農家を手伝い、綺麗な海が見える浜辺でテントを張って朝焼けを眺める——そんな自由な日々。

東京を目指す途中、静岡県で立ち寄ったあるコーヒーショップで、店主と話が弾みました。「うちの2階空いてるから、好きなだけ泊まっていきなよ」と言ってもらい、そのままお世話になることに。

専門学校でコーヒーも学んではいましたが、正直そこまでこだわりはありませんでした。でも、その店主との会話を通じて、コーヒーという飲み物の奥深さに初めて触れたんです。パンのことしか知らなかった僕にとって、これは大きな転機でした。

⑤渋谷のど真ん中、汚い格好のバイク乗り

そうしてたどり着いた東京。渋谷の真ん中を、汚い格好でバイクに乗って走る自分。何よりも驚いたのは、人の多さでした。「こんなに人がいるんだ」と思いながら走ったのを覚えています。

友人が住む神奈川県の多摩川を渡った先の家に転がり込むと、開口一番「クサっ!風呂入れ!」(笑)。1週間ほどお世話になり、東京でいろいろな人と出会いました。

このとき一つだけ、心に決めたことがありました。「東京が面白いからこの街で働こう」。

一度関西に戻ってイタリアンのお店に就職先を決め、改めて東京へ飛びました。

⑥震災、そして転々とする修業の日々

東京でイタリアンの料理人として働き始めると、自分の未熟さに愕然としました。それでも修業を続けていた矢先、1年も経たないうちに東日本大震災が発生。東京にも被害があり、お客さんが来なくなってしまいました。

そこから仕事を追われ、渋谷、銀座、汐留、六本木——お店を転々としながら、フレンチ、イタリアンの料理人として腕を磨いていきました。

⑦ワインとコーヒーを求めて、海外へ

もともと興味があったワインとコーヒーをきちんと学びたいと思い、29歳になる前にオーストラリアへ渡りました。

半年間はシドニーの老舗カフェでバリスタとして働き、残りの半年間はバックパッカーとしてワイナリーを巡る日々。ワインについて多くを学びました。

日本に帰国後は、大阪のラグジュアリーホテルでバーテンダー・バリスタを経験しながら、ウイスキーと紅茶の資格を取得。その後、東京でコーヒーマシンのエンジニアとなりました。

⑧そして、このブログへ

ここまで来て、僕はすっかり「嗜好品」というものが大好きになっていました。元々日本酒の街「灘の酒」の街生まれなのでよく地元の酒蔵に行き今では全国の酒蔵に訪れ日本酒を、ワインもオーストラリアをキッカケに世界中のワイナリーに行き、ウイスキーは資格を取り様々なウイスキーを飲み、紅茶はラグジュアリーホテル時代資格を取ったので美味しい茶葉の勉強をし京都の有名なお茶屋さんの味をチェックしに行ったり、ビールはIPAが好きだが家ではペールエールやラガービールを飲んで、コーヒーはインストラクターの資格を取り毎日飲んでいる——それぞれの世界にある奥深さ、そこに関わる人たちの物語を、もっと多くの人に知ってもらいたい。

そう思って、このブログを立ち上げました。

7歳のあの朝、暗闇の中でパンを配っていた人たちの笑顔から始まった僕の物語は、震災を挟みながら、「食」「飲」「文化」へとつながっていきました。

これからこのブログでは、そんな嗜好品たちの魅力を、僕自身の経験と知識を交えてお伝えしていきます。よろしくお願いします。

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